当時の少年誌でトップ画といえば、野球の王・長嶋と大相撲の大鵬が大人気。
相撲ファンじゃなくても、物心ついた子から爺さん、婆さんまでとか、誰もが知ってるヒーローのようだった。
テレビの普及と大鵬
ちょうどテレビが我が家にもの頃でしたか、大相撲も大鵬人気で茶の間を沸かせたりでした。
ひと世代上の団塊世代の方だと栃・若でしょうが、まだラジオからテレビへも一部だけだったかも。
甘いマスクで強い 横綱 大鵬
お相撲さんといえば厳つい風貌や太った容姿が顔にもだったが、大鵬は二枚目でしかも強い力士だった。
●柏戸との同時横綱昇進で柏・鵬時代といわれたりだが、人気度も成績も圧倒的に大鵬でありましたね。
●負けない横綱と言われたりですが、私は〃強い〃って思ったりでしたか。
今の時代だと大谷級の人気だった?
野球に感心ない人も知ってる大リーグの大谷、当時の相撲の大鵬はそんな感じだった。
●一部の年寄り評論家は「大鵬には型がない」ともだったが、どんなタイプの相手にも取れるスタイルだったかも。
●差し違えでの連勝ストップ、これにはホントに残念だった。
北の富士VS玉の海
同時横綱昇進といえば北の富士と玉の海もで、まったくタイプが違うライバルのようだった。
●北の富士は速攻が持ち味で勝ち負けも波がだが、玉の海は型がある四つ相撲で安定していた。
一度だけ体調崩して10勝できずもでしたが、昇進後の勝率は双葉山に近いほどだったと。
●何より玉の海の魅力は定型的な正攻法、立ち合い変わることもないし、四つも常にがっぷりで長相撲もだった。
●大鵬引退後に北の富士との差が出始めた頃だったか、双葉山再来とささやき始めた頃に病で帰らぬ人にでしたか。
輪島VS北の湖
玉の海死去の後、若手の貴ノ花と輪島が土俵を沸かせるようにで、輪島は初の学生相撲出身で横綱まで。
●貴ノ花は輪島と同時に大関にだったが、それ以降はどんどん輪島と差が付き悲壮感のような印象もだったか・・。
●その後に横綱となった北の湖と輪湖時代といわれるようになり、北の湖のふてぶてさが嫌で輪島を応援だった。
千代の富士からおもしろくなくなった
北の湖の晩年頃に頭角表わした千代の富士、王様みたいな雰囲気になりおもしろくなくなった。
この頃から大相撲はあまり見なくなりだし、若貴ブームとかもそんなに興味はなくだった。
八百長も語られだした?
●それなりの自力もだろうが、八百長も語られだした千代の富士時代。
●対抗馬が出てこないのもだったが、なんとなく雰囲気が好みじゃなくでしたか・・。
ハワイからモンゴル時代
高見山のときは外国人力士って、非常に珍しく思ったりでしたが・・
●曙や武蔵丸は身体が全然違い、相撲も対格差だと思った。
●朝青龍は相撲も態度も嫌だし、白鵬も言動など身勝手な感じがだった。
ほかの個人スポーツ
特別に好きになった種目というよりは、注視した選手って感じかもです。
力道山
●ちょうど我が家にもテレビが来た頃、金曜日の夜八時といえばプロレス。
最初はブラッシーに噛みつかれ血みどろも、空手チョップで反撃してやっつける力道山、日本中が沸いたかなぁ~。
●まだ戦後10数年、アメリカにコテンパンにやられた日本、力道山が外人を倒すのに熱狂したかも?。
キックの沢村忠
●ムエタイなんて知らないし、キックボクシングという名でテレビ放送もだった。
●〃キックの鬼〃のキャッチフレーズだったか、〃真空飛び膝蹴り〃の沢村忠が人気だった。
ボクシング 大場政夫
「あしたのジョー」のモデル? 貧困から世界チャンピオンに昇りつめた選手だった。
●何度目かの防衛線だったか、観戦に来てた横綱 玉の海から祝福されてるシーンもだったか。
どちらもこれからピークを迎えようとした時期、哀しくも天国へだった・・。