巨人(球団)というよりも、私は長嶋と王のイメージが強かったですか。
私は球団としてはライオンズ~カープになり、好きな選手とかはチームに拘らずでしたか。
西鉄ライオンズ
私の年齢だと稲尾や中西の活躍は知らないが、団塊世代より上の人は「神様・仏様・稲尾様」、「野武士軍団」でしたか。
島原キャンプ
●小学校のときですか、七歳上の従弟と島原鉄道に乗って見に行ったりでした。
●島原市は小さな地方都市だが、西鉄ライオンズのキャンプで賑やかでありましたね。
修学旅行で平和台球場
私の年代での小学生の修学旅行、福岡市近郊が定番であり、太宰府天満宮とともにライオンズの平和台球場へも。
西武ライオンズに
●私が見てたのは西鉄の衰退期、それから太平洋やクラウンを経て西武ライオンズとなり所沢へ。
中学生になった頃は関心も薄れてまたしが、九州から無くなるのは少し寂しくもでしたか。
●川崎に一時住んでた頃だったか、巨人との日本シリーズは所沢に見に行ったりでした。
広島カープ
70年代に入った頃、ライオンズの衰退もだったが、セは巨人のV9でうんざり感もでしたか。
広島初優勝でファンに
●75年の初優勝、その年からヘルメットも赤になり、〃赤ヘル〃というネーミングもでしたか。
●近鉄との日本シリーズ、これもドラマチックで赤ヘルファンにですか。
地域が生んだ球団
●今は札幌、仙台、福岡にも球団がだが、首都圏、名古屋、近畿以外で発祥から続いてる唯一の球団。
●ホークスは南海時代から好きじゃないし、ダイエーもソフトバンクもなんとなく嫌なので・・。
(ホークスファンの方すいません)
高橋慶彦、北別府、津田、前田智徳
●広島といえば山本浩二や衣笠が有名だったが、同年代でもある高橋や北別府も好きでしたね。
●32歳の若さで他界した津田投手、ストレート勝負が真骨頂の魅力ある〃炎のストッパー〃だったか。
●野球はチームスポーツでも個人が目立ったりもで、前田智徳のバッティングは落合やイチローも注視したり。
仰木、落合、野茂、イチロー、大谷
野球はチーム競技ではあるものの、他の団体競技より個性・特性など目立つ。
仰木監督(近鉄、オリックス)
現役の西鉄時代は知らないが、近鉄の監督になってからですね。
●もうすでに管理野球(広岡、森、野村など)がモットーになってた頃、『やっぱ野武士軍団の血があるんやな』と。
●管理を嫌い、選手の個性を尊重。仰木の姿勢に野茂やイチローはピッタリだったでしょう。
他の選手はマネできない
落合、野茂、イチロー、大谷、「我が道を進む」って感じで、独独の個性と実績ですね。
●最初の頃は批判されてたり(特に野村克也に)も、独自のスタイルで実績も素晴らしくだ。
●セでバース、パで落合、同時に二年連続三冠王、まずこんなことはもう無いだろう。
記憶にあるシーンなど
これはカープに限らず、私個人の強く記憶に残るのですね。
江夏VS王
江夏といえば日本シリーズでの21球(赤ヘル時代)も有名だが、阪神時代の王との対戦に独自の雰囲気がでしたか。
●野球もチームプレイが原則ですが、この2人の対戦は個と個の勝負事がピッタリだった。
(監督、球団など暗黙の了解みたいだったのも、おそらく2人の実績自体が卓越してたからでしょう)
●変化球でかわす奪三振ではなく、力でねじ伏せる奪三振の江夏、それをヒットじゃなくホームラン打ちにいく王でしたね。
(内野ゴロに打ち取ってもイマイチの江夏、ライト前ヒットでも二コリともしない王の雰囲気でしたか)
伝説の10.19ダブルヘッダー
野球ファンなら知ってる88年のロッテVS近鉄のダブルヘッダー、近鉄が二連勝すると優勝でしたが・・。
●近鉄が一戦目を競り勝ち、第二戦でのロッテ有藤監督による抗議、これによる時間経過が後々にも。
●午後10時にニュースステーションが始まっても中継は継続されるなど、熱いライブ中継に全国がだった。
(これがきっかけ?「混パ」「熱パ」と称され、メディアもセ・リーグ並みに取り上げるようにですか)
怪物 江川
巨人入団までゴタゴタ騒動のあった選手だが、巨人や大学時代じゃなく高校時代のに凄いと思った。
「怪物」と異名で選手を称したりも、今季三年目のロッテ佐々木や昨季引退の松坂もだったが、元祖は江川だった?
●初めて73年春の選抜に登場したとき、相手打者はヒットを打つというより、バットに当てるのもなかなかできなかった。
●後に甲子園で球審してた人が語ってたが、その人が見た投手では最高のストレートだと語ってたりもですね。