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巨人・大鵬・卵焼き  大鵬~輪島くらいまで

当時の少年誌でトップ画といえば、野球の王・長嶋と大相撲の大鵬が大人気。
相撲ファンじゃなくても、物心ついた子から爺さん、婆さんまでとか、誰もが知ってるヒーローのようだった。

テレビの普及と大鵬

ちょうどテレビが我が家にもの頃でしたか、大相撲も大鵬人気で茶の間を沸かせたりでした。
ひと世代上の団塊世代の方だと栃・若でしょうが、まだラジオからテレビへも一部だけだったかも。

甘いマスクで強い 横綱 大鵬

お相撲さんといえば厳つい風貌や太った容姿が顔にもだったが、大鵬だけは二枚目・ハンサムでしかも強い力士だった。
柏戸との同時横綱昇進で柏・鵬時代といわれたりだが、人気度も成績も圧倒的に大鵬でありましたね。
負けない横綱と言われたりですが、なかなか負けないし、私は〃強い〃って思ったりでしたか。
私の県出身で佐田の山も横綱になったけど、対戦時は父親以外はみんな大鵬が勝つと嬉しくでしたか。

今の時代だと大谷級の人気だった?

野球に感心ない人も知ってる大リーグの大谷、当時の相撲の大鵬はそんな感じだった。
一部の年寄り評論家は「大鵬には型がない」ともだったが、どんなタイプの相手にも取れるスタイルだったかも。
差し違えでの連勝ストップ、これにはホントに残念だった。

注視も輪島まで、印象残ってたのは玉の海か

北の富士は速攻が持ち味で勝ち負けも波がだが、玉の海は型がある四つ相撲で安定していた。
 一度だけ体調崩して10勝できずもでしたが、昇進後の勝率は双葉山に近いほどだったと。
何より玉の海の魅力は定型的な正攻法、立ち合い変わることもないし、四つも常にがっぷりで長相撲もだった。
大鵬引退後に北の富士との差が出始めた頃だったか、双葉山再来とささやき始めた頃に病で帰らぬ人にでしたか。

 玉の海死去の後、若手の貴ノ花と輪島が土俵を沸かせるようにで、輪島は初の学生相撲出身で横綱まで。
その後に横綱となった北の湖と輪湖時代といわれるようにだが、北の湖のふてぶてさが嫌で輪島を応援だった。

千代の富士からおもしろくなくなった

北の湖の晩年頃に頭角表わした千代の富士、王様みたいな雰囲気になりおもしろくなくなった。

八百長も語られだした?

それなりの自力もだろうが、八百長も語られだした千代の富士時代。
対抗馬が出てこないのもだったが、なんとなく雰囲気が好みじゃなくでしたか・・。

ハワイからモンゴル時代

高見山のときは外国人力士って、非常に珍しく思ったりでしたが・・
曙や武蔵丸は身体が全然違い、相撲も対格差だと思った。
朝青龍は相撲も態度も嫌だし、白鵬も言動など身勝手な感じがだった。


ほかの個人スポーツ

特別に好きになった種目というよりは、注視した選手って感じかもです。

力道山

ちょうど我が家にもテレビが来た頃、金曜日の夜八時といえばプロレス。
 最初はブラッシーに噛みつかれ血みどろも、空手チョップで反撃してやっつける力道山、日本中が沸いたかなぁ~。
まだ戦後10数年、アメリカにコテンパンにやられた日本、力道山が外人を倒すのに熱狂したかも?。

キックの沢村忠

ムエタイなんて知らないし、キックボクシングという名でテレビ放送もだった。
〃キックの鬼〃のキャッチフレーズだったか、〃真空飛び膝蹴り〃の沢村忠が人気だった。

ボクシング 大場政夫

「あしたのジョー」のモデル? 貧困から世界チャンピオンに昇りつめた選手だった。
何度目かの防衛線だったか、観戦に来てた横綱 玉の海から祝福されてるシーンもだったか。
 どちらもこれからピークを迎えようとした時期、哀しくも天国へだった・・。