今ほど食材が豊ではなかったですが、私の子供時代はもうご飯は普通に食べれたりだった。
たまに芋ご飯、麦飯とかもでしたけど、白いご飯に味噌汁が一般的にでしたね。
弁当、食卓、外食
当時の私の地域、小中学に給食なく弁当をでしたし、高校も県立高は給食なしで弁当。
弁当のおかずで卵焼きが主役
●7歳~18歳だとおかずも変わっていったりですが、変わらないのは卵焼きでありますかね。
●今でも好きであり、握り寿司でも魚よりお気に入りであります。
カレーライスに鯨
●カレーは子供時代から大好きでしたが、牛肉や豚肉がまだ高かった? 家のカレーでは鯨が入ってたりもでした。
●大阪に就職してから、酒も少々嗜むようなった頃でしたか、冷凍鯨好きでしたね。
ラーメン
●ラーメンも子供のときから好きでしたが、中学のときは深夜にチキンラーメンとか食べたり。
●お店でラーメンは高校の帰宅時、やはりトンコツがメインでありましたね。
(社会人なって東京行ったとき、ラーメン食べたらイマイチだったですか・・(醤油味だったので)
●ラーメンは味噌かトンコツ、店によって味がかなり違うのもラーメン。
(うどんは大半の店でも特別にお気に入り、その逆もないけど、ラーメンは店によって好みがですか)
砂糖菓子の鯛、おこし、カステラ、水
長崎県ではあるしカステラもですが、旧佐賀藩の地域だし丸ぼうろも頻繁にでしたね。
祝い事には鯛の形の砂糖菓子
佐賀県や長崎県でこういうのがあった?
●子供初節句は親戚呼んでの祝い行事、お土産に鯛の形(中は空洞)した砂糖菓子でした。
小さいときは親がそれをもらって来ると、割って好きな大きさにして食べたり。
●ちなみに初節句は将来の成長も願い大きな行事でしたが、2年目以降の誕生日などほぼ何にもなし。
●ケーキも小学低学年の頃まで珍しくて、年に一度クリスマスに食べる高級菓子みたい?。
米に黒砂糖を使った菓子(おこし)
●米粒を乾燥させたようなのに砂糖がたっぷり、個人的にはあまり食べる気しなかった。
●店によってはピーナッツなど使ったのもで、兄や姉はよく食べてたが私はこれもイマイチだったか。
パン?お菓子?(カステラ)
長崎市ほどではないにしろ、カステラも何かの贈答品みたいにでしたか。
●幼心にはパンでもなくお菓子でもない、とにかく砂糖のきいた黄色いパンみたいに思えた。
●ひと口食べたりではあったが、空腹時以外は食べたいとは思わなかったですか。
美味しかった水、まずかった水
私が住んでる諫早、大村地区、多良山系の麓で水経に恵まれてる。また、近場の島原半島も地下水などが豊富にある。
90年代だったか、九州北部で水不足のときも、私の地域ではそういう感覚はなかったかなですね。
長崎市の水はまずかった
今は浄水が発達して関係ないでしょうし、長崎市の人には怒られるかもですが・・。
●幼稚園くらいのときだったろうか、母に連れられ長崎市の親類宅行ったとき、蛇口の水飲んだ時に驚いたりも。
とにかくカルキがいっぱいというか、異様な味だった印象がでしたか。
●今でも多良山系に水を汲み来る人達もですが、長崎市からポリタンクを何個か積んで来る人も多い。
島原市の水は美味しかった
多良山系の水で慣れてた私でしたが、島原市で飲んだ水は美味しいと思いましたね。
●高校なってバイクで出かけたとき、島原城の近くで飲んだ水が新鮮で美味かった。
山の方とは違い、街の真ん中くらいでも地下水が沸き、夏は冷たく冬は暖かい感じだったか。
●商店街の水路というと普通は汚いイメージだが、島原は水が綺麗で鯉が泳いでたりもだったか。
石木ダムはいらないかなぁ
水がないと生活はできないし、防災面でもダムは必要な地域もでしょうが・・
●佐世保は水不足地域といわれたりだが、本当に必要なら自身の敷地(市内)で作ればである。
それが不可能ならば、長崎市が大村市から供給されてるよう、近くの自治体に要望でもいいんじゃなかろうか。
●防災面で考えた場合でも、川棚川が氾濫の可能性は極めて低いだろう。